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自分の中で、春の陽気はあまり嬉しさを感じられたことがないなと数年を振り返る。
人を主語にした「春の訪れ」というと、努力や苦境を乗り越えた先の救いのようなイメージを抱いているのだと思う。自分の人生や生活が不幸せとは全く思わないが、それでもこの 変革を起こせない日常の中に溺れている感じを思う度に、どうしようもない自分に対しての絶望をしてしまう、ことをやめることが出来ない。

自分がどのような将来のビジョンを持って青春の時代を打ち込んでいたのだろうか。結局あらゆる未熟な思想は空をつかむようなことばかりで、何かに向かいながら出来ていたことなんてほぼ、ないんじゃないだろうか。
自分に対しての現状の本質的な問題や、向かう方向性が全然見えてないのだろうと思う、あらゆる自分の行動はまやかしなのだと気づいてしまう度に、そもそも音楽を生業にする意味をも見失うのだ。

どう生きるのが幸せなのか、何をすれば世のために成るか、皆目見当もつかない日常という感じだ。ブレイクスルーを起こしたい。そんな日々、な気がする。