逆に気づいてブログ更新しているから良しとする。
昨日お酒を飲んだ時に、ビール1杯も飲んでいないのに倒れた。
吉尾にはお酒ダメです。与えないでください。まあ基本的に今度から言うと思うけど。多分一生飲まないんだろうな…
昨日、実は初めてお会いする方と食事に行って、それでちゃんと倒れたので大粗相なのだが、その方とのお話で、ブログの文章執筆についての話になった。
私は特にこのようにブログを書いている、ということは流れ的に話さなかったが、仕事のペースで考えた時に概ね2日に1本、2000文字のブログを書くらしい。
2000文字というと結構な分量になる、ということは自分の肌感覚で分かるので、すごい世界だなとは思う。
私もブログは小学6年生の時から、ホームページの更新がてら書き続けていて、それでなんとなく自分の頭の中のことをつらつらと書くことには抵抗がなくなったわけだが、何かテーマを見つけてそれについて2000文字というのは、大学のレポートですら結構大変な分量だと想像するので、それはまあ得意な人不得意な人もいるし、さらにいえばやりたくない、っていう人も続けられない人も多くいる、ということになるだろう。毎日続けている人すごいな。
最近ブログを書いている理由だが、まあなんというのだろうか「活動している」ということ「生きている」ということ「考えている」ということ、それぞれを目に見えるもので証明したい、ということがあると思う。正直目に見える成果だけが全ての世界ではないが、ただコンクールで入賞するとか、学校でいい成績を取るとか、当たり前だがそういうのから遠く離れた今、自分の肯定感を支えられる指標って本当に自分でしか作れない。だからそれを作ることを欠かすと、まあ向こう1ヶ月とか半年とかは大丈夫でも、その自信や技術の積み重ねのようなものは音もなく崩れていくんだろうな、というのがこの1年間の中での経験だったんだよな、と思うのだ。
SNSもそう。クラシック音楽家だから、とかなんか変にお高く留まっている場合じゃないなって思い始めてしまった。誰かに聴いて欲しいから音楽をやるのだし、めちゃくちゃ気持ち悪いことを言えば人の信頼とか尊敬とかが残っているから何かを頑張ろうと思えるのだと思う。結局その形って、「人が自分を認めてくれる」ことは目に見える成果だけど「自分が自分を認める」というのは目に見えない成果なので、実は最短で人に認められにいく、という行為は全然賤しくない努力の方向なんじゃいかな、と思うようになった。
もちろんそれだけでは自分軸というのは消え去り、結局目に見えるものが世界の全てになれば自分の人生を生きることは全くできなくなってしまうが、自分の生き方はあまりにも自分発信の世界で、なんかそういうところから少しは方向を変えていくべき時期なのかな、というふうに思うのだ。
最近ラーメンズの公演動画をよく観る。マジで100本も動画上げてくれてありがとうって思うんだが、あれもお笑いをベースにした芸術って本気で思える。何もくだらなくない。音楽でもああいうこと出来ないかなってすごく思う。音楽聴いて人が笑う世界。最高だと思う。
音楽の力なんて烏滸がましい言葉を使うな、これは亡き坂本龍一の言葉だが、音楽の作用出来る範囲の可能性に関してはもう少し考えていって、信じてもいいんじゃないかとは思う。それを信じているから音楽というものを極め、演奏しようとする人間がこれほど多くいるのだから。
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