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学生時代のちょっとしたレポート

 

ゆるい授業だったが、とある先生の言葉が心に突き刺さっていて、それについての感想を見つけたので、なんとなくこのブログに残しておこうと思った。
プライバシー云々がちょっと気になってしまったので、名前や授業名は隠すことをご容赦いただきたい。
体裁も言いたいことも全くまとまっていない、不出来な学生であったことがはっきりとわかる散文である。が、私にとっての痛切な私の嘆きを的確に思い出させてくれる文章であった。自分のためにこのページに残しておきたいと思う。
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 私は傲慢だと思う。
 私が◯◯の授業で学んだことは、◯◯先生の音楽に対する考え方だった。一番大きく印象に残っている言葉は、私が先生に「先生の疑問を聞きたい」と言った時に話してくださった、「音楽大学は必要か」という問題についての論だった。※
 その中で、「芸術に限らず、何事においても、全ての物事は本気になればなるほど孤独になる」という言葉が忘れられずにいる。
 私の音楽大学在学中における、ざっくりとした目標は「音楽だけで食べていけるようになる音楽家になる」ことだった。
音大生にして普遍的な目標であったと思うが、明らかに他の人とは行動の量だけは別格にしようと、練習時間も長く取り、人の3倍4倍の曲をさらい、他の楽器のためのレパートリーに手を出し、自主公演を何度も行い、(結果は残せなかったが)海外コンクールにも単独で挑戦し、とにかくとにかくなんでもやった。その中で、大学の中で起こる社会の理不尽を身を以て痛感したりもした。そんな生活を送っていて、今大学生活を振り返った時に私が一番反省していることは、「友達作りの努力をしてこなかった」ことである。
 もちろん、この先一緒に演奏活動をしていけるような頼れる仲間はできた。何か困った時に手伝ったり助けてくれる友達はいる。いるが、いない。私は、将来音楽で生きていくために、大学生活を音楽に本気で捧げたばかりに孤独になったのだと、先の言葉を聞いて思ったわけだ。
 これほど悲しいことはあるだろうか。音楽大学など、孤独の集まりだと思っていた。しかし私の見た音楽大学はそのような殺伐としたような世界には感じなかった。ただこの大学のぬるま湯に学生職員一同に浸からされ、出ようとすれば必死で足を引っ張り合い、何も成し遂げることもなく人生を終えるような人間の巣窟にしか見えなかった。もちろん素晴らしい講師の先生、師匠に出会い様々な経験を積めたことに感謝もしている。ただそのような経験は、より私の大学生活に対する幻滅を増幅させる要素にしかならなかった。これは紛れもなく私の未熟に問題があることに議論の余地はない。
 私はきっと、大学を出て演奏家の肩書を背負い、それでもずっと、人の幸せを願うために本気で良い音楽について考えそれを実現するために練習を・研究を重ねて行くことだろう。
その先に誰がいるのか?その先に私が得られるものは何か?
 人間は一人では生きていけない。だから人の幸せを願い本気になり、そして孤独になるだろう。
一年間、音楽について、楽譜の読み込みに限らず様々な事に思いを巡らすきっかけを与えて下さった先生に感謝の意を示し、この授業のレポートを終える。
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※...この授業は、演奏における自分の疑問を検証・研究し、それをクラス内で発表する・というものであった
…往往にして、本気というものは人を孤独にする。
狂気であったり、理解の範疇を超えたような目で人を見、そして孤立していく。

しかし、人は孤独であるからこそ、常人には成し遂げられない境地へとたどり着くのではないか?とも信じている。

それと同時に、人と手を取り合えるからこそ、一人では成し遂げられない境地を見いだすことが出来るのではないか?とも思うのだ。

 

しかし、考えるたびにきっと愚問なのであろうとも思うのだ。

きっとそんな境地にいる人々は、そんな悩みはこぢんまりとしたちっぽけな悩みというか、くだらない悩みになるのであろう。

 

余計なことを考えずに、自分が良しとする芸術を静かに追い求めていきたいものである。

 

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