AmazingBuds!終演の記事その2。
今回は、マリンバ松岩さんと共演した、マスランカ:ソングブック。
まず一番残念なのは全曲演奏できなかったこと。時間の関係でどうしても仕方なかったが、でも本当に残念だった。いい曲ばっかりだった。
ただ複雑なことに、おそらく私がこの曲を全曲演奏していたら、ラッシュ2は多分演奏出来なかった。笑
抜粋したことによって、メンタル的にも体力的にも救われたとは思う。やったらやったでもちろん、プライドでやりきったと思うが、しかし救われたと思ってしまっているということは、自分自身がまだまだなのだということを自分でちょっと感じてしまって、なんか反省している。笑
私の中で、ソングブックというタイトルを聞くと、まずガーシュウィンという作曲家が脳裏に浮かぶ。
ガーシュウィンも、ソングブックというものを残しており、もっとも彼の場合は彼が作曲したオペラや劇音楽の中の「お気に入り」を、ピアノ用にアレンジした、という趣のものなのだが。
対して、マスランカのソングブックは完全なオリジナルであり、全曲に渡り彼の美学である「バッハ」を感じる。
演奏に際しては、極限まで削ぎ落とされた音符の中に、いかに必要な意味を必要なだけ伝えられるか、ということに注力していたように思う。純粋に演奏の難易度も高いが、それ以上にこの楽曲は1つのロングトーンに対するメンタルの注力具合が他の曲の比ではない。「当たり前」に演奏するために「当たり前とは何か」を深く考えさせられる楽曲だったと思う。
私の考えすぎだったのだろうか。
この辺りは、(私と全く関わりもないが)雲井雅人氏の書き物から大きく影響を受けていたということもある。
彼自身、日本におけるマスランカ演奏の第一人者であるが、彼の精神性について興味深い記述を多く見かける。
同時に、(ごちゃ混ぜにするものでないことも分かっているが)雲井氏自身のサクソフォンの音色や美観に関するこだわりや信念というものも少なからず影響を受けたと思う。もちろん私は彼とは比較できない程の大きな距離の差があり、そこを目指すことも出来ないし、なんならこのブログが見つかってしまったら大炎上だろう。失礼極まりない。
演奏に際してのもう一つの気付きとして、演奏上のコミュニケーションの重要性というものがある。
音楽を演奏する際に、その人の性格や価値観がにじみ出る点については異論の余地はないが(証明できるわけでもないが)、その奥深さを今回の演奏で深く感じたように思う。
終わったし(松岩さんも鋭い方なのでバレてると思うので)正直に書くが、やっぱり自分の良しとする価値観や演奏法を否定することというのはほぼほぼ出来ずで、それがぶつかった時には第3の答えを探すことを諦めてはいけないと強く感じた。
今回は一緒に演奏する方は先輩で、最初はいかに波風立たせずにうまーくやっていくか、などというクソくだらなく失礼なことを考えていたものだが、本当に良い演奏したいと思った時に、心底にある自分の言葉を探し続けること、そして人の言葉に真剣に耳を傾けることの大切さというか、そんなものを再認識したのだった。
そんなこと考えれば当然といえば当然なのだが、そういう当然がやっぱり抜けてしまうこともあるなと思った。
とはいえ(これで正当化したいわけではないが)多分誰もが抜け落ちている人間的な部分というのは絶対に存在していて、その抜け落ちた部分が意外に魅力だったりするのかもしれないとも感じた。
自分には見えない世界というものもたくさんあり、その中へと進めるかも分からないが、自分と自分以外の世界というものをこのデュオから多く考えることになったのであった。曲のこと全然書いてねえな。笑
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