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室内楽の日

様々な本番や曲をこなしつつの日ではあるが、そんな中でシューマンの楽曲に取り組んでいる。比較的サクソフォンで演奏するには意外性のあるレパートリーになればと思っている。

 

シューマンの室内楽作品には、各楽器の音量感に留まらない、楽器としてのポテンシャルを最大限に発揮した時に、各々の楽器の魅力が大いに伝わるような工夫やこだわりを感じる。

 

シューマンのいわゆる最晩年にあたる年にかかれたヴァイオリンソナタには、限られた2つの楽器で、いかに多くの要素を詰め込んでいくかということにこれでもかと言うほどの注力を感じる。

有機的というよりも執拗とも言える主題労作、半拍すらも許さない緊張感の途切れのなさ、音楽修辞的要素…改めてシューマンの教養の深さやアイデアの豊富さに驚くばかりだ。

 

シューマン自身、クララとの才能の差に焦った日々というのもあっただろう。

あらゆる点において、シューマンという作曲家は焦燥の中で生かされた作曲家だと感じる。

その結果、精神を犯されるほどの状態になってしまった、悲劇的な作曲家であるが、その中でも少しでも多くの自分自身の才能を生涯を通して証明し続けようとした、本当に美しい作曲家であると私は考えている。

 

私自身、芸術や人生における最も大切なものの一つに「バランス」というものがあるが、シューマンという存在はある意味、その私の大切なものを踏み倒してくるような力強さと、そして魅力を感じる側面がある。

それは火遊びのようでもあるが、同時に今の私には永遠に触れられないような雲のような存在のようにも感じている。

 

このような作品は「嗜んで」良いものなのだろうか。

シューマンは、そのそれほど長くない生涯の中で、楽曲を書くことで何を示したかったのだろうか。

私は彼の作品で共感するべきなのだろうか。啓蒙するべきなのだろうか。

彼はいつも私の心を深く惑わす。

 

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